一九世紀、二〇世紀は産業社会が国民国家の間の競争を基軸として進展したことは紛れもない事実である。先進国に負けまいとしたのはドイツもロシアもそうだし、アメリカも日本もそうだった。国家間の競争が戦争を引き起こし、戦争準備・遂行が産業社会を進展させた。同時に、あまりにも大きな災害が頻繁に起こったので、次第に善隣友好の必要性が認識された。そのために、産業は高度に発展し、戦争経験を経て、相互依存の果実を広範な人々が享受するに至った。その間に、技術進歩は地球をひとつにした。ひとつといっても際限のない差異があることは否定しない。しかし技術のおかけで、距離は克服できない障害とはならなくなった。いままでは、距離が国家と国家の間に壁をつくり、時間が国家と国家の間のもうひとつの壁になっていたが、それも意味をなさなくなった。情報は瞬時に地球を駆けめぐる。距離も時間も虚となり、空となる。インターネット通信がコンピュータを通して一瞬のうちに、地球のどこにでも行くことを可能にしたのである。このことを、中国語では「全球化」、韓国語では「世界化」という。日本語では「グローバル化」と呼んでいる。そんな世の中になればなるほど、英語の能力が必要になってくる。